躁うつ病のことを理解して貰う必要性ってあるの?
躁うつ病の皆様もそうでない皆様も、こんばんワンツーまおまおです!
あ?そこの貴方。まおまおの挨拶のネタが尽きたんだなと思いましたね?結構いい線いったと思ったんだけどなー。
はー、緑茶がんまー♡
いいねいいね♪温かい飲み物はいいね♪
ぬくぬくあったかいのは、気持ちいいね♪
これに甘い物があると更にいいね♪
いらん情報だけど、まおまおは和菓子派だよ!
…さて。
今夜のお題は「躁うつ病のことを理解して貰う必要性ってあるの?」。
ちなみにまおまおは、
無いな。
……あー、ごめん。
喧嘩売ってる訳ではないよ?あくまでもここからは一個人の意見だから、
「嫌ならば~、見るのは止めよう~、君のため~」(作:まおまお)
「嫌ならば~、見るではないぞ~、まおブログ~」(作:まおまお長女絶賛彼氏募集中)
上記の5・7・5で頼む。
「なぜ無いの?自分を理解してもらいたくないの?」
こういう声は巷ではよく聞くんだけど。
…うん。これもごめん。
割とまおまおにとって、理解してもらうことはどうでもいいな。
家族さえ知っててくれたら御の字だ。
この知ると理解の違いが大事。
まおまおの子供達は、常に傍にいるから、自分達で、見て、体感して母親の症状をよく知っている。
毎日自分の母親が寝込んだり、テンションMaxになったりを、ずっと見てきたのだからね。
病気になった時、まおまおは自分が「母さん躁うつ病になってね。躁うつ病とはなんちゃらかんちゃらりんで……」と一応説明はした。
でも難解な公式と一緒で、躁うつ病とはという知識を、
知る→→→理解する
(浅い) (深い)
に進化させているのは、彼らが常日頃努力してくれているからだと思う。
つまりまおまおにとっての理解って、他人が、
「〇〇さんのこと知りたいな→もっともっと知りたいな」
って、相手側の好意から生まれた気持ちが強くなった結果、時間をかけて理解につながっていくものであって、こちら側から、
「自分はこうこうこうだから、理解してほしい」
なんて、無理じゃね?いくらなんでもそれは?ってなる。
家族以外のその他の方々は、調子が悪い時のまおまおの事を、「こいつなんか変じゃね?」って去っていく人もいるかもしれない。
でも、中には、「気分ががあんまり良くないのかな?」と、お察しして下さる方がいるのも事実。
ねえ。
お察しして下さるって、凄いありがたいよね。
それって、「まおまおさんが、いいよ」って言ってくれてる事だもん。
まおまおの結論。
① 他者からの理解とは、欲して得られるものではないよ。
② 他者がなんとなく自分のことをお察ししてくれてるなー…って感じられればラッキー。
③ 理解してもらいたいとかより、自分が躁うつ病を乗り越えるんだという気持ちが大事。
ってな訳で、私の自論終了!
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